はじめての 深い愛おしさは 嵐
今日は彼らにとっても、そして私たちファンにとっても大切な20歳(ハタチ)の記念日。
出逢えた奇跡への感謝と精一杯の愛とおめでとうのお祝いの気持ちを込めて。
私がアイドルに、ジャニーズに興味を持った原点は間違いなく “嵐” でした。
これというきっかけがあったわけでも、いつから好き!という明白なものがあったわけでもなく、本当にいつの間にか私の生活のすぐそばに嵐がいたんです。
それはきっと世間が嵐を見つけ始めたタイミングから少し遅れた頃、地元で「花より男子」(2005)が夕方に再放送されたくらいで、
小学生は遅くとも21:30就寝というルールがあり、夜はなかなかテレビを観ることができなかったけれど(そのせいで「嵐の宿題くん」(2006-2010)を見られなかったことを未だに根に持っています)
「花より男子2」(2007)の放送を受けて「花より男子」(2005)だけではなく「ごくせん」(2002)や「木更津キャッツアイ」(2002)などがたくさん再放送され始めて(なんせ田舎は再放送が多いので)、夕方の起きている時間の再放送バンザイ!なテレビっ子は知らず知らずのうちに、嵐という存在を認識し始めていきました。
その頃すきだった「喰いタン」(2006)のスペシャルに相葉くんが多分ゲスト出演?していたことも鮮明に覚えているくらい、いつの間にかそこに嵐がいました。
そんな私を嵐にグッと近づけたのが「花より男子2」(2007)でした。その頃合わせて再放送していた「花より男子」(2005)を含め、学校の友達もみんな(本当に皆!)見ていて、クラスの話題は花男で持ちきりで、みんなは誰派?とずっと話していました。(当時も今も花沢類派です、ごめんね道明寺)
松潤のおかげで芽生えた嵐への関心が、にのと翔くんが出演していた「山田太郎ものがたり」(2007)で確実なものになりました。特にこの時の翔くんがま〜〜かっこよくってかっこよくって!高校生ってこんなにキラキラな世界なんだ〜すごい!とずっと憧れていました(恥)
今でこそ大野担の私ですが、実は入りは翔くんでした…!(誰しもが通る道だと勝手に思っている)(それは言い過ぎ)
けれどこの頃は今でいう “担当” まではいかなくて、小学生だったこともあり、テレビで観るタイミングが多かったからというのもきっとあったと思います。まだまだ魅力に気付いていないだなんてもったいないぞ〜ってこの頃の私に伝えてあげたいです(?)
そこから「ひみつの嵐ちゃん」(2008-2013)や「VS嵐」(2008-)がスタートし始めて、バラエティでの嵐を見るようになり、“演技するカッコいい嵐” から “ガムシャラで熱くて面白い嵐” を知りました。
そしてこの頃、嵐の曲を耳にするようになり、音楽番組でパフォーマンスをする嵐を見るようになりました。
ドラマをきっかけに気になり、バラエティをきっかけに新たな魅力に気がつき、そしてアイドルをしている彼らのことを心待ちにするようになるまで、そう時間はかかりませんでした。
そしてその頃から嵐のCDを手にするようになりました。初めて買った(正確にはお母さんに買ってもらった)嵐のCDは「Dream “A” live」(2008)でした。
最初の頃は小学生の私にとっては世界観が独特だったけれど、人は不思議なもので、好きな人が歌ってると全部ぜんぶかっこよく聞こえてしまうもので。
嵐の曲といえばドラマの主題歌だった「Love so sweet」や「Happiness」、CMソングだった「きっと大丈夫」のような明るくてハッピーな曲のイメージだったので、「Dream “A” live」を聴いて小学生ながらに嵐の世界観がぐるっと変わったアルバムでした(ちなみにシリウスとYOUR SONGがお気に入りでした)(今思うと大野担の片鱗が無きにしも非ず)
この時のソロ曲「Take me faraway」も本当にだいすきだったなあ〜。大野くんの突き抜ける透き通った歌声を聴いた時、小学生ながらに衝撃を受けたことをはっきりと覚えています。
きっかけは、初めは翔くんだったけれど、いろんな人から「嵐の中で誰がすき?」と聞かれるのが一番の難題だと思っていたほど、ずっと “嵐” というコンテンツがすきでした。私にとっては5人で1つのワンパッケージだったんです。
もちろんその根本は変わっていませんが、今では大野担として、青色を身につけることを誇りに思っています。
話は戻りますが、そこから嵐の露出もぐ〜〜〜んと増えて(というか私たち家族の目に止まるようになって)、嵐への想いがもっともっと加速していきました。
といっても母娘ともにジャニーズ初心者だったこともあり、ライブなんて以ての外、いわゆる “お茶の間” 状態で、物理的に会うなんてことは考えても見ませんでした。
だって嵐はテレビの向こう側の人だって思っていたから。どれだけ手を伸ばしても届かない存在だと思っていたから。それからしばらく、テレビの前で彼らのことを応援する日々が続きました。
当時は案の定夜更かしが苦手で、時を経て再放送で観ていました。
もともと本がすきだったので、これをきっかけに東野圭吾の本を読みあさりました。
・「みゅうの足パパにあげる」(2008)松本潤主演
これまでの24時間テレビのドラマの中で一番といっていいくらい涙が止まらなかった作品です。
なにかと衝撃的で小学生の私にとってはインパクトの強い作品でした。
内容はもちろん主題歌が好きすぎて、中学生の頃、吹奏楽部の演奏会で激推しして曲目に入れたことを鮮明に覚えています。
私の青春時代の思い出のドラマは全部ぜんぶ嵐主演の作品だったし、それが当たり前になっていました。
今考えてみるとどのクールにも嵐の誰かしらがいることなんて普通にとんでもないし、また嵐の作品が観れるなんて嬉しいな〜!なんて軽い気持ちで喜んでいた自分が恐ろしいです……。
そして嵐がデビュー10周年を迎えた2009年。私は区切りの年のコンサートにどうしても行きたくて、お母さんに相談して、お願いして、ファンクラブに入りました。
“ファンクラブに入る” という壁が当時の私にとってはとても高くて、勇気のいることでした。勝手にテレビの前で楽しませてもらう存在から、お金を出して応援する存在になるということに躊躇してしまう私がいたんです。(それと周りに嵐ファンであることを公言していなかったことも少なからずあります。)
そんな私の背中を押してくれたのが「10周年」という ANNIVERSARY YEAR だったことは間違いなく大きいです。
にわかにでしか嵐を知らないのに記念の年のコンサートに参加するなんて…と思われても仕方がないのですが、それでもこの時、あの決断をしたことは確実に私の宝物になりました。
そうして申し込んだ唯一の名義が当選、東京ドームで行われた 5x10 に母と妹と3人で参加することができました。
2009年12月5日 5x10 in 東京ドーム
3塁側天井席、上から数えた方が早いくらい、遠い遠い席でした。けれどそんなことを思ったのも束の間、オープニングの「感謝カンゲキ雨嵐」とともに夢にまで見た光景が目の前に現れました。
画面越しではない、本物の嵐が、5人がそこにいました。
私たちと同じくらいの目線の高さからフライングで登場してきた彼らはすごくすごくキラキラしていて、コンサートの空気に一気に飲み込まれていきました。
テレビの画面で見る嵐の方が断然大きいくらい小さい小さい5人でしたが、双眼鏡を覗くことがもったいないと思ったのか、ひたすら肉眼で、無我夢中で彼らの姿を追いかけていたことを覚えています。
ペンライトは母と妹と3人で1つを回して使っていたし、曲の振りだって見様見真似だったし、初心者丸出しなコンサートだったけれど、本当に本当に、かけがえのない時間だったなと心から思います。
そしてあんなに素敵な空間がこの世に存在していたなんて、どうして誰も教えてくれなかったんだろうと、もっと早く出逢いたかったなと、もっと早く生まれていたかったなと、これまでの10年間を後悔した日でもありました。
嵐と嵐のファンの溢れんばかりの笑顔を目の当たりにしたこの日が、私にとってターニングポイントになったことは間違いなくて、今でも「感謝カンゲキ雨嵐」を聴くとあの時の光景と感動を思い出すことができます。(重ねて5x20も)(そのお話もいつの日か)
そこからの私の名義は鳴かず飛ばずで(家族で1名義だったもので)、しばらくコンサートに足を運ぶことができない期間もありました。それもあって足が遠のいた時期があったのも間違いありません。(一度お母さんが更新を忘れてこれまでにないくらい大激怒をしたのもいい思い出)(黄色い会員証だったのになあ)(思い出したらもやもやしてきた)
それでも、嵐への想いは揺らぎませんでした。というより気づいたらなくてはならないもの、そこにあって当たり前な存在になっていたんです。
それは今日この日を迎えるまで、嵐が嵐らしくい続けてくれたから、いつだってファンに寄り添ってくれたから、きっとずっとこうやって応援してこれたんだと思います。
“僕らが、もっと近くに”
彼らは謙虚にそう言ってくれるけれど、アイドルという遠い遠い存在でありながら、音楽や言葉に姿を変えながら、いつだって嵐は私の側にいてくれたよ。わたしはそう思います。
嵐デビュー20周年おめでとう
大袈裟かもしれないけれど、今までもこれからも5人が5人らしくいてくれたら、それが私の幸せです。ありがとう。だいすき。
2019.11.03