キミが踏む その一歩が証明

 

 

 

 

 

2006年10月8日

 

康二くんがジャニーズの“向井康二”として、一歩を踏み出したその日。

 

わたしは10歳の誕生日を目の前に、お誕生日ケーキが楽しみだなとか、プレゼントは何かな、なんてのん気なことを考えていたわけで。

 

 

 

15年経って、こんなにも特別な日になるなんて、もちろん思っても見なかったし、当時のわたしに伝えても “ふーん?” って言われちゃいそうだけど(笑)

 

 

でも、康二くんに出逢えたから、仲良くなれた素敵なひとたちがいて、Snow Manに出逢えたから、普段がちょっぴりとキラッとすることが増えて。

 

 

 

“無くちゃならないもの” っていうよりも “あるから彩られるもの” の存在に、日々しあわせを感じています。(と言いつつも、存在が当たり前にならないように、噛み締めるのもこういう日の役目だったり。)

 

 

 

 

 

数字の大きさに毎回圧倒されてしまっているけれど、わたしたちの旅路は、まだまだ大きな一歩を踏み出したばかりで。

 

ドラマ、連載、個展、ドーム……。これからあなたが夢を掴み取る瞬間を、少しでも多く一緒に喜べたらいいなあ、なんて思います。

 

 

 

 

 

まあ、こんなにも大層なことを言ってますが、とにかく伝えたいことは、15年間アイドルをし続けてくれてありがとうってことです!

 

できればこれからも、末永く “ジャニーズの” “Snow Manの” 向井康二でいてくれたら嬉しいなあ、なんて思ってます‥!(最後の最後によくばり)

 

 

 

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2021.10.08

 

 

Please tell me your voice

 

 

 

 

まずは、だいすきで だいすきで たまらない康二くんへ、27歳のお誕生日おめでとう。

そして、生まれてきてくれて、今日までアイドルを続けてくれて、本当に本当にありがとう。

 

 

 

今年のわたしは、去年と環境も生活も、本当にガラリと変わってしまうこともあって、正直、これまでと同じような気持ちで応援できるのかなあって、不安な部分も心のどこかで感じながら、春がはじまっていきました。

 

 

 

そして、その嫌な予感は、やはり的中してしまって。慣れない場所で、慣れない仕事に追われる日々の中で、わたしには余裕なんて1ミリもなくて。

 

Snow Manのことを、康二くんのことを、しっかり見つめられていないな、ただでさえ遠いのに、余計に距離を感じてしまうな、なんてちょっぴり悲しくなることもありました。

 

 

 

でも、いつまで経っても、どんなときでも、毎週、画面越しで会える水曜日と日曜日を心待ちにしているわたしはいて。

嬉しいニュースの中に名前を見つける度に、だいすきなみんなと共有したい気持ちでいっぱいになるわたしは、まだここにいて。

 

たとえ周りの早さについて行けなくなる機会が増えても、ずっとあなたのことをすきでいるために、これからもわたしのペースで、だいすきなあなたのことを見つめていこうと思えることができました。

 

 

 

 

あなたのことがだいすきだよって言葉にできるようになって、6月21日がたまらなく愛おしい日になって2回目の今日。

 

 

これまでにくらべたら、もしかしたら、遠のいてしまっているように見えるかもしれない。でも、そうではなくて、ちょっとスピードを落として走っているだけなんだって思っていてくれたら嬉しいです。まだまだ先は長いから。そう信じていたいから。

 

 

 

たくさんの人たちに愛されるあなたのことだから、わたしの些細な変化なんて、そう大したことはないはずなんだけれどね。

 

でもね、しっかり気持ちはここにあって、一つひとつにたくさん想いを詰め込んでいるんだよってことが、願わくば あなたのもとへ届きますように。

 

 

 

 

 

どんな形であっても、たとえ言葉にする数が減ってしまったとしても、ゆるしてね。だって、だいすきな気持ちは変わらないんだもん。

 

な〜んて、康二くんにわがままだって言われちゃうかな? 何となく「なにいうてるん」って笑って許してくれちゃいそうなあなたに 今日も首ったけみたいです。

 

 

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2021.06.21

綺麗ごとだけじゃ語れない 僕らの世界

 

 

 

今日は2021年1月22日

 

 

Snow ManSixTONESと一緒にデビューをしてちょうど一年の日

“テッペン” を目指すために “淘汰の先にある未来へ” の新たな一歩を踏み出した日

 

下書きに残したままの言葉たちを呼び起こして、なんとなく今の気持ちを重ねてみようかな、なんて思い立ってしまって、とりあえず指を動かしてみています

 

 

 

 

 

康二くんやSnow Manと一緒に駆け抜けてきた(ような気持ちの)この一年は、「あっという間」という言葉では言い包められないくらい、正直、しっかり、ちゃんと “一年” でした

 

嬉しい気持ちも、悲しい気持ちも、楽しい気持ちも、悔しい気持ちも、その度にしっかりと実感していて、

 

どちらかと言うと、今、改めて振り返るタイミングができて、“あ、ちゃんと前に進んでいたんだ” ってわかったくらいの感覚かな

 

 

 

 

デビューから1年経っても、間違いなく、彼らへの想いは揺るぎないものでした

 

むしろ増しているというか、康二くんへのすきが募れば募るほど、Snow Manへのすきが募っていく、そんな不思議な気持ちになりました

 

それに逆もあって、Snow Manへの愛しさが大きくなればなるほど、康二くんへのだいすきでいっぱいになるんです

 

 

 

“こんなにすきになるなんて、思っていなかった” とかっこよく決めたいところですが、Snow Manは違ったんです

最初から、ふんわりだけれど、“わたし、この人たちのこと、もっとすきになるんだな” って頭のどこかで過ぎったというか、

 

彼らの表情然り、彼らの発する言葉然り、彼らの魅せるパフォーマンス然り、

どんな時でもSnow Manはわたしを離してはくれないし、むしろどんどん引き寄せにかかってくるから、困ったものなのです

 

 

 

 

 

 

 

でもね、心のどこかで “寂しいな” “遠いな” なんて、ふと頭を過ぎる回数が増えたことも、デビューしたんだなあって改めて実感することの一つで

 

大きな存在になることはとっても喜ばしいことで、本人たちも望んでいることではあるんだけれど

 

でも、想像以上の数字や “誠に残念ながら” の文字を目の当たりにするたびに、目に触れる人が増えるってこういうことなんだなあって、心がポツン、ってなってしまう瞬間も確かにここにあって

 

欲張りなんです、わがままなんです、

Snow Manのことになると、それはもう、特に

 

 

 

 

でもね、そんなときにまあるい気持ちで包み込んでくれるのもSnow Manであって

 

声や文字、動画や写真に形を変えて “ありがとう” って伝えてくれるから、わたしも “ありがとう” って返して、それを繰り返して

感謝のサンドウィッチでSnow Manをぎゅ〜っと抱きしめてしまいたくなるんです

(この例え方 康二くんみたいだなって思ったのは内緒です)

 

 

 

 

 

 

デビューをしてすぐに、どうしようもない敵にぶつかってしまって、“今頃……はずだったのに” って思う出来事がどんどん積み重なっていったこと

 

一年を振り返った時に、どうしてもこのことが先行してしまうことが、やっぱりすごく悔しくて、寂しくて、どうしようもなくて、

 

 

 

でもね、Snow Manはいつだって、いろんなものに姿や形を変えて、素敵な景色を見させてくれようとしていたことは間違いなくて

 

誰よりも苦しかったのは9人のはずなのに、切り取って、繋げて、紡いで、

笑顔を届けようとしていてくれることが、愛されてるなあ、なんて大袈裟なくらい思ってしまう

 

 

 

 

 

“すきになったこと、絶対に後悔させない”

9人は口を揃えてそう言うけれど、あなたたちをすきになって後悔したことなんて、一度だってないよ

今、この瞬間が一番すき

明日は多分きっと、もっとすき

 

 

 

 

 

 

これからもずっと、Snow ManSnow Manらしく、9人のペースで歩み続けられますように

 

そして、9人が向かい風に立ち向かうときには、そっと背中を押す、追い風のような存在でいられますように

 

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2021.01.22

 

 

 

 

ゆずれないよ 誰もじゃまできない

 

 

今日このときまで嵐でいてくれてありがとう

嵐のファンでいさせてくれてありがとう

 

そして何より、デビュー21周年おめでとう

 

 

 

物心ついた頃には当たり前のようにすぐそばに居て、気がついたら目で追うようになっていて、いつの間にか無くてはならない存在になっていて、

 

5人が駆け抜けた20年間も、これから歩んでいく21年目も、一つひとつ、大切に大切にあたためていきたいなあと、改めて思いました

 

 

やっぱり5人のことがだいすきで、むしろ “だいすき” の4文字じゃ伝えきれないくらい、今までもこれからも、かけがえのない存在なのは確かで、

 

 

今日もね、久しぶりに家族5人みんなで集まって、いつもは4人までしか入れないあの空間を、今日は5人みんなで共有できました

 

本音を言ったら、やっぱり同じ会場で、同じ空気を吸って、全身で嵐5人の言葉に応えたかった

 

でもね、たくさん悩んで、たくさん考えて、今回こういった形で届けることを決めてくれて、本当に嬉しかったことには間違いないです

 

 

 

“ゆずれない”

“誰もじゃまできない”

 

嵐とファンとが、これからもずっと、そんな関係で居続けられますように

 

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2020.11.03

 

 

 

君の声が その笑顔が その全てが




今日を当たり前のように、同じ空の下で迎えられていること、いろいろなことが重なった今だからこそ、より大切にあたためたい記憶として、まあるく包み込みたいなあと思うのであって。

 

2019年1月27日(土)

あの日からずっと、嵐のことを、大野くんのことを、アイドルでいてくれるあなたを応援できていることを、改めて、ずっとずっと噛み締めています。


休止発表後、初めてのミュージックステーションで “笑顔で見守り隊” って言葉にしたのに、だいすきな歌声を聴くたびに、あなたの笑顔を目にするたびに、目の前が涙でいっぱいになって、霞んじゃう現状は相変わらずみたいです。泣き虫でごめんね。


でも嵐を、大野くんをすきになって後悔したことなんて一度もないし、むしろ知れば知るほどだいすきになっていって。

それは今、この時ももちろん変わっていません。

 


おやすみしている間はいろんな肩書きを取っ払って、ありのままの “大野智” でいてほしいから、来年のこの日はこの言葉を届けることを少し躊躇ってしまうかもしれない。

 

だから今日は、今日だけは思いっきりあなたに伝えさせてください。

 


アイドルでいてくれてありがとう!
嵐の大野智がだいすきです!

 

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2020.10.16

大空さえ 越えて行けるよ

 

 

 

 

去年なんとなく綴ってみたこのブログを、一年振りに書いて見ようかなあ、なんて軽い気持ちで、今、指を動かしています

 

 

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改めて入所日ってもうひとつのお誕生日というか、ひとりの人として1994年6月21日に産まれた康二くんが、アイドルとしてもう一度この世界に生まれた大切な日だなあと思っていて、

 

 

今日この時、この瞬間までアイドルでいてくれる康二くんを応援できていることが、とってもとっても幸せだなあと噛みしめています

 

それはもしかしたらこのご時世だから、より強く感じるのかもしれなくて、

 

 

直接見たり会ったりすることができず、だいすきな人たちとも距離を取らなくちゃいけない日々

 

ただでさえ “アイドル” という遠い遠い存在なのに、もっともっと遥か彼方に行ってしまったような感覚にさえなってしまったりもします

 

 

それでもいろいろなコンテンツを通して、いつも通りの笑顔を届けてくれて、様々な媒体で “元気だよ” “大丈夫だよ” って伝えてくれて、

 

どうしようもなく寂しくなってしまうことが増えた分、“ああ、わたしたちファンはこんなにも大切に想われているんだなあ” なんて、ふと頭をよぎる回数も増えたように感じています

 

 

そんな中でも康二くんはその回数が誰よりも多いと自負していて(多分きっとそう)

 

ジャニーズウェブの写真しかり、ISLAND TVの動画しかり、weiboの投稿しかり、

目に見える形でだいすきな人たちの些細な姿をいつもいつも届けてくれるところがとってもだいすきなんです

 

 

素敵な写真や映像が見れることはもちろん、すこし大袈裟かもしれないけれど

“康二くんが切り取ると、世界はこんな風に映るんだなあ” と、こっそり横から覗き見しているみたいな気持ちにもなります

 

 

しかもそのお写真たちは確実に沢山の人たちの目に留まっていて

 

雑誌の連載を任せてもらえたり、冠番組のオープニングで使ってもらったり、撮った写真が公式で発売されるようになったり、

様々な場所に種を蒔いて、そしてしっかりと花を咲かせているんだなあと、とても誇らしく感じます

 

 

そんな日々を通して、ある願いがわたしの細やかな夢に加わりました

 

それは

“康二くんの写真展に行くこと”

 

あらゆる媒体を通して見れることもすごくすごく幸せなことだけれど、でもやっぱり、この目でだいすきな人がファインダーを通して覗き込んだ世界を見てみたい

一瞬でもいいから、感じてみたい

 

もちろんそれは簡単なことではないし、何年かかるかも、実現するかもわからないけれど

それでも、一つのゆめとして、心の中で大事にあたためておきたいと思います

 

 

やっぱりわたしにとっては康二くんの紡ぐ言葉も、康二くんが切り取る世界も、康二くんがだいすきでたまらない人たちと奏でる音楽も、

全部ぜんぶ宝物なんです

 

だから叶うことなら、それをずっと見ていたいし、聴いていたいし、感じていたい

そしてその度に、かっこいいなあ、素敵だなあ、って思わず口にしてしまうような、じんわりあたたまるようなきもちでいたいです

 

 

だいすきな人がたくさん悩んでお休みを決めたり、誰かの大切な人が自ら悲しい選択をしてしまう世の中だからこそ、

康二くんには心も身体もずっとずっと元気でいて欲しいんです

 

 

だから康二くんは康二くんのまま、横並びで一緒に歩んでいるメンバーにたくさんたくさん甘えて、たくさんたくさん支えてもらってください

 

大丈夫、だって康二くんがいてくれるだけでしあわせな気持ちになる人はたくさんいるんだからね、少なくともわたしはそうなので、

 

そしてほんの少しでもいいので、こんなにも康二くんのことがすきでたまらない人がいるんだって、ふと想ってくれたら

それだけでしあわせで、きっと羽が生えたように飛べちゃう気がします

 

 

来年も、再来年も、これから先ずっと、“アイドルでいてくれてありがとう” という言葉を、出来るだけ長く、あなたに届けられますように

 

そしていつまでも “みんなの万能調味料こと塩こうじよりも、向井康二です” の言葉が聴けますように、と願いを込めて

 

 

 

PS. あなたはどこまでも素直すぎるみたいです

2020.10.08

 

 

 

 

 

 

 

 

はじめての 深い愛おしさは 嵐

 

 

今日は彼らにとっても、そして私たちファンにとっても大切な20歳(ハタチ)の記念日。

出逢えた奇跡への感謝と精一杯の愛とおめでとうのお祝いの気持ちを込めて。

 

 

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私がアイドルに、ジャニーズに興味を持った原点は間違いなく “嵐” でした。

 

これというきっかけがあったわけでも、いつから好き!という明白なものがあったわけでもなく、本当にいつの間にか私の生活のすぐそばに嵐がいたんです。

 

それはきっと世間が嵐を見つけ始めたタイミングから少し遅れた頃、地元で「花より男子」(2005)が夕方に再放送されたくらいで、

 

小学生は遅くとも21:30就寝というルールがあり、夜はなかなかテレビを観ることができなかったけれど(そのせいで「嵐の宿題くん」(2006-2010)を見られなかったことを未だに根に持っています)

 

花より男子2」(2007)の放送を受けて「花より男子」(2005)だけではなく「ごくせん」(2002)や「木更津キャッツアイ」(2002)などがたくさん再放送され始めて(なんせ田舎は再放送が多いので)、夕方の起きている時間の再放送バンザイ!なテレビっ子は知らず知らずのうちに、嵐という存在を認識し始めていきました。

 

その頃すきだった「喰いタン」(2006)のスペシャルに相葉くんが多分ゲスト出演?していたことも鮮明に覚えているくらい、いつの間にかそこに嵐がいました。

 

 

そんな私を嵐にグッと近づけたのが「花より男子2」(2007)でした。その頃合わせて再放送していた「花より男子」(2005)を含め、学校の友達もみんな(本当に皆!)見ていて、クラスの話題は花男で持ちきりで、みんなは誰派?とずっと話していました。(当時も今も花沢類派です、ごめんね道明寺)

 

松潤のおかげで芽生えた嵐への関心が、にのと翔くんが出演していた「山田太郎ものがたり」(2007)で確実なものになりました。特にこの時の翔くんがま〜〜かっこよくってかっこよくって!高校生ってこんなにキラキラな世界なんだ〜すごい!とずっと憧れていました(恥)

 

今でこそ大野担の私ですが、実は入りは翔くんでした…!(誰しもが通る道だと勝手に思っている)(それは言い過ぎ)

けれどこの頃は今でいう “担当” まではいかなくて、小学生だったこともあり、テレビで観るタイミングが多かったからというのもきっとあったと思います。まだまだ魅力に気付いていないだなんてもったいないぞ〜ってこの頃の私に伝えてあげたいです(?)

 

 

そこから「ひみつの嵐ちゃん」(2008-2013)や「VS嵐」(2008-)がスタートし始めて、バラエティでの嵐を見るようになり、“演技するカッコいい嵐” から “ガムシャラで熱くて面白い嵐” を知りました。

そしてこの頃、嵐の曲を耳にするようになり、音楽番組でパフォーマンスをする嵐を見るようになりました。

 

ドラマをきっかけに気になり、バラエティをきっかけに新たな魅力に気がつき、そしてアイドルをしている彼らのことを心待ちにするようになるまで、そう時間はかかりませんでした。

 

 

そしてその頃から嵐のCDを手にするようになりました。初めて買った(正確にはお母さんに買ってもらった)嵐のCDは「Dream “A” live」(2008)でした。

 

最初の頃は小学生の私にとっては世界観が独特だったけれど、人は不思議なもので、好きな人が歌ってると全部ぜんぶかっこよく聞こえてしまうもので。

 

嵐の曲といえばドラマの主題歌だった「Love so sweet」や「Happiness」、CMソングだった「きっと大丈夫」のような明るくてハッピーな曲のイメージだったので、「Dream “A” live」を聴いて小学生ながらに嵐の世界観がぐるっと変わったアルバムでした(ちなみにシリウスとYOUR SONGがお気に入りでした)(今思うと大野担の片鱗が無きにしも非ず)

 

この時のソロ曲「Take me faraway」も本当にだいすきだったなあ〜。大野くんの突き抜ける透き通った歌声を聴いた時、小学生ながらに衝撃を受けたことをはっきりと覚えています。

 

きっかけは、初めは翔くんだったけれど、いろんな人から「嵐の中で誰がすき?」と聞かれるのが一番の難題だと思っていたほど、ずっと “嵐” というコンテンツがすきでした。私にとっては5人で1つのワンパッケージだったんです。

もちろんその根本は変わっていませんが、今では大野担として、青色を身につけることを誇りに思っています。

 

 

話は戻りますが、そこから嵐の露出もぐ〜〜〜んと増えて(というか私たち家族の目に止まるようになって)、嵐への想いがもっともっと加速していきました。

 

といっても母娘ともにジャニーズ初心者だったこともあり、ライブなんて以ての外、いわゆる “お茶の間” 状態で、物理的に会うなんてことは考えても見ませんでした。

 

だって嵐はテレビの向こう側の人だって思っていたから。どれだけ手を伸ばしても届かない存在だと思っていたから。それからしばらく、テレビの前で彼らのことを応援する日々が続きました。

 

「魔王」(2008)大野智主演

当時は案の定夜更かしが苦手で、時を経て再放送で観ていました。

・「流星の絆」(2008)二宮和也主演

もともと本がすきだったので、これをきっかけに東野圭吾の本を読みあさりました。

・「みゅうの足パパにあげる」(2008)松本潤主演

これまでの24時間テレビのドラマの中で一番といっていいくらい涙が止まらなかった作品です。

・「ザ・クイズショウ」(2009)櫻井翔主演

なにかと衝撃的で小学生の私にとってはインパクトの強い作品でした。

・「マイガール」(2009)相葉雅紀主演

内容はもちろん主題歌が好きすぎて、中学生の頃、吹奏楽部の演奏会で激推しして曲目に入れたことを鮮明に覚えています。

 

私の青春時代の思い出のドラマは全部ぜんぶ嵐主演の作品だったし、それが当たり前になっていました。

 

今考えてみるとどのクールにも嵐の誰かしらがいることなんて普通にとんでもないし、また嵐の作品が観れるなんて嬉しいな〜!なんて軽い気持ちで喜んでいた自分が恐ろしいです……。

 

 

そして嵐がデビュー10周年を迎えた2009年。私は区切りの年のコンサートにどうしても行きたくて、お母さんに相談して、お願いして、ファンクラブに入りました。

 

“ファンクラブに入る” という壁が当時の私にとってはとても高くて、勇気のいることでした。勝手にテレビの前で楽しませてもらう存在から、お金を出して応援する存在になるということに躊躇してしまう私がいたんです。(それと周りに嵐ファンであることを公言していなかったことも少なからずあります。)

 

そんな私の背中を押してくれたのが「10周年」という ANNIVERSARY YEAR だったことは間違いなく大きいです。

 

にわかにでしか嵐を知らないのに記念の年のコンサートに参加するなんて…と思われても仕方がないのですが、それでもこの時、あの決断をしたことは確実に私の宝物になりました。

 

 

そうして申し込んだ唯一の名義が当選、東京ドームで行われた 5x10 に母と妹と3人で参加することができました。

 

2009年12月5日 5x10 in 東京ドーム

3塁側天井席、上から数えた方が早いくらい、遠い遠い席でした。けれどそんなことを思ったのも束の間、オープニングの「感謝カンゲキ雨嵐」とともに夢にまで見た光景が目の前に現れました。

 

 

画面越しではない、本物の嵐が、5人がそこにいました。

 

 

私たちと同じくらいの目線の高さからフライングで登場してきた彼らはすごくすごくキラキラしていて、コンサートの空気に一気に飲み込まれていきました。

 

 

テレビの画面で見る嵐の方が断然大きいくらい小さい小さい5人でしたが、双眼鏡を覗くことがもったいないと思ったのか、ひたすら肉眼で、無我夢中で彼らの姿を追いかけていたことを覚えています。

 

ペンライトは母と妹と3人で1つを回して使っていたし、曲の振りだって見様見真似だったし、初心者丸出しなコンサートだったけれど、本当に本当に、かけがえのない時間だったなと心から思います。

 

そしてあんなに素敵な空間がこの世に存在していたなんて、どうして誰も教えてくれなかったんだろうと、もっと早く出逢いたかったなと、もっと早く生まれていたかったなと、これまでの10年間を後悔した日でもありました。

 

嵐と嵐のファンの溢れんばかりの笑顔を目の当たりにしたこの日が、私にとってターニングポイントになったことは間違いなくて、今でも「感謝カンゲキ雨嵐」を聴くとあの時の光景と感動を思い出すことができます。(重ねて5x20も)(そのお話もいつの日か)

 

 

そこからの私の名義は鳴かず飛ばずで(家族で1名義だったもので)、しばらくコンサートに足を運ぶことができない期間もありました。それもあって足が遠のいた時期があったのも間違いありません。(一度お母さんが更新を忘れてこれまでにないくらい大激怒をしたのもいい思い出)(黄色い会員証だったのになあ)(思い出したらもやもやしてきた)

 

それでも、嵐への想いは揺らぎませんでした。というより気づいたらなくてはならないもの、そこにあって当たり前な存在になっていたんです。

 

 

それは今日この日を迎えるまで、嵐が嵐らしくい続けてくれたから、いつだってファンに寄り添ってくれたから、きっとずっとこうやって応援してこれたんだと思います。

 

 

“僕らが、もっと近くに”

 

彼らは謙虚にそう言ってくれるけれど、アイドルという遠い遠い存在でありながら、音楽や言葉に姿を変えながら、いつだって嵐は私の側にいてくれたよ。わたしはそう思います。

 

 

嵐デビュー20周年おめでとう

 

大袈裟かもしれないけれど、今までもこれからも5人が5人らしくいてくれたら、それが私の幸せです。ありがとう。だいすき。

 

 

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2019.11.03